Genking Rockな生活

アンティークロックを求める毎日

松山千春殿

この方は別格。この人の曲は人生そのものである。

何故にそんなに生き急ぐのか?

 

出会いは14歳。彼が24歳の時である。

当時お付き合いしていた女性からもらったレコードが千春の「木枯らしに抱かれて」。聴いた瞬間、なんなんだこれは?当時はすでにアイドル的なルックスで人気絶頂であったが、興味は無かった。アルバムを聴き終えた感想はこのカリスマ的な人間性に溢れた歌声、メッセージ性は、これまで出会ったことの無いものであった。

さらにラジオや以前のアルバムを聴くたびに彼の「無垢」な生き様がどんどん飛び込んで来た。

 

この夏にデビュー40年を迎え、日本武道館で彼の基本であるアコースティックギター一本だけで当時と変わらぬメッセージを伝えてくれた。

これだけ月日がたち、彼も外見は大分変わったが、言っていること、歌の内容、そして何より嬉しいのは生き様が全く変わってないところだ。

ただただ、感銘、脱帽するしか無い。

これまで彼に付いてきて良かった。

移り変わりの速いこの社会、売れればナンボの世界で、あえて高校の先輩というだけで鈴木宗男さんを慕い、宗男さんが犯罪を認めない限り、俺も最後まで信じるという男気。北海道足寄町という田舎町で生まれ育った友ならではのものであろう。宗男さんの奥さんからも、「千春さん、人気商売なのですからもう良いです。」と言われたようだが、人気よりも友人を大切にするその姿勢にも感動した。

果たして自分が将来もし犯罪をおこしてしまっても、最後まで自分のことを身体を張って守ってくれる親友がいるであろうか?みんな知らん顔して悪口を言い遠ざかって行く奴らばかりなのか?と問いかけてみると、羨ましいかぎりだ。

 

心臓に病を、抱え、無理も出来ないはずなのに、小さな町をできるだけ回りたい、一人で日本武道館を満員にできる人がまだ行ったことのない小さな町での新しい自分を見せることに今でも春夏のツアーを行っている

 

生き急がないで欲しい。

それが自分の正直な気持ちである。

 

「歌えるうちに歌っておきたい。ただまっすぐにひたすら。。」

 

きっといつの日か彼が亡くなった時は、仕事を休んで絶対、北海道足寄町の彼の自宅までかけつけるであろう。

その覚悟はもう20年以上前から決めている!

 

彼の生みの親、STVラジオの故竹田健二氏が、コンテストで落ちた千春を生んでくれた。ファンである自分たちが千春を育てて来たんだ。

 

これからも変わらずあなたらしい素晴らしい歌声を、歌を聴かせてください。

決して無理はしないで急がないでゆっくりで良いですから。

自分は永遠のファンでいますから。。